怒られる男の日記

もう少しうまくなってから練習するブログ

父親の自覚なんかない

akasugu.fcart.jp

 

こういう記事を読んで。

 

これに限らず、パパはママより親としての自覚を持つのに時間がかかるよね、だから最初は育児とか積極的になりにくいよね、みたいな話をよく見るんだけど、親の自覚ってなんぞや?といつも思う。目の前に子供いたら、自分が親になったってわかるでしょ。

 

いや、わかってる。この自覚って言葉には、覚悟とか、決意とか、そういうニュアンス入ってるってことは。でも、だからなに?というのが正直なところ。育児やるのに覚悟とか別に関係ない。やらないといけないから、しょうがないから、理由はなんでもいいけど、ただやるだけ。

 

上の記事でもそうだけど、最初は自覚がないから育児に積極的じゃなかった→奥さんにいわれていろいろやるうちに自覚が芽生えてきた、ってなってて、自覚が先にあって行動につながるのか、行動して自覚が生まれるのかはっきりしない。結局、言ってることは「最初は育児やってなかったけど、今はいろいろやってます」っていうだけで、そこに自覚っていう要素は必要ないと思う。

 

じゃあなんで自覚がどうのこうのって書くのかっていうと、ママはおなかで赤ちゃんを育てている分親としての意識が…パパが赤ちゃんが生まれるまで実感しにくいので…うんぬんかんぬんみたいな話に持っていきたいから使ってるということ。多分その言葉自体に意味なんかなくて、一言でいえば言い訳の材料として使っている。

 

今、「自覚って言葉を言い訳につかってるよね」って書いたけど、逆に人を追い込む言葉にもなりうる。本当にしんどい時、これは無理!ってなった時に、それはお前に親としての自覚がないからだ、って言われたりとか。こういういい方は、「それでも〇〇か!」(〇〇には父親、母親、男、女、なんでも好きな言葉を入れてください)系の理不尽なやつと根っこは同じだ。

 

自分はもともと、自覚とかやる気とか積極的とか、そういう精神論的な要素で評価されるのが嫌い。表面的にあまり感情を出さないから、嫌々やってるんだろうとか、思いが感じられないみたいなことを言われることがあるんだけど、そんなこと言われてもな…と困ってしまう。いきなり目をキラキラさせてイキイキハイテンションになればいいのか。なれないけど。

 

そんな感じなので、よくある、育児楽しいです!育児して成長できました!育児で仕事もスキルアップ!みたいな記事はまぶしくて直視できない。清浄な光でメンタルが蒸発してしまう。

 

ともかく、育児みたいに、どうしようもなくそこにあって、誰かがやらなきゃしょうがないことについて、自覚とか覚悟とかそういうのはどうでもいいし、ないならないで一向にかまわないって思っている。ただただ、やったかどうか、それだけ。やった。はい、やりました。これはできない。でもしょうがないからとりあえずやる。そんな感じで良くないかな。少なくとも自分には、それくらいでやってるほうがしっくりくる。