怒られる男の日記

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親の資格をなくしかけた日のこと

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例の事件をきっかけに、いろいろなブログや記事を読ませてもらっている。

 

その中で「親の資格が…」「子供を引き離して…」といった言葉を見て思い出すのは、娘が生まれたばかりだった日々のことだ。

 

娘が生まれてほどなく、もともと心療内科に通院していた妻は育児に疲れてしまった。私も一緒に妻の実家に居候していたので、夜間は私が娘を見ていたし昼間も助けはある程度得られる環境だったとは思うが、それでも一日中泣き止まない赤ちゃんの世話をすることの負担は、もともと疲弊していた妻の精神を痛めつけるには十分で、仕事中に「もう無理!」と泣き声で電話がかかってくることもしょっちゅうだった。

 

このままでは大変なことになってしまうと思い、私たちは助けを得られそうなところに片っ端から連絡をとってみた。公的なサポートから個人でやっているような託児所まで。そんな中で、地域の家庭支援センターに連絡したところ、そこから職員が家庭まで出向いてくれることになった。

 

先方からは職員とケースワーカーのような人が2人でやってきた。リビングの机で向かいあって、私と妻は今までの経緯や妻の状況について説明し、何か助けになるようなものはないか相談した。

 

私たちは、定期的に娘を預けたりして妻の負担を軽減するような方法を相談するつもりだったのだが、先方が初めに出してきた案は、「娘を乳児院に預ける」というものだった。完全に予想の外だったので私は戸惑った。多分妻もそうだったと思う。そして、乳児院に預けても時々会うことはできますし、落ち着いたら引き取ることも…などと説明を聞きながら、私は自分が思い違いをしていたことに気づいた。

 

妻は、相談をする際に、正直にすべてを話していた。自分の通院歴、泣き止まない赤ちゃんにいら立って、投げすてたくなること(もちろん実際にはやっていない)など。それを聞いた相手は、困っている親を助けるために家に来たのではなかった。不安定な虐待予備軍の親から赤ちゃんを救うためにやってきたのだ。

 

その時は、夢中で、子供は自分たちで育てていきたいということ、妻は今少し疲れてしまっているが、経験を積んできた社会人で、私やあなたたちと同様に、もしくはそれ以上にちゃんとした大人なんだ、ということを話した気がする。結局、それから少しして、離れたところにある保育園に、妻の病気を理由に受け入れてもらい、娘も次第に成長してくれて、なんとか今までやってくることができた。それは私達夫婦にとって、また違う問題の始まりだったのだが、ここではその話は置いていく。

 

もしあの時、職員にもっと大きな権限があって、少しでも危険と感じた親から子供を引き離す力があったのだとしたら。もしかしたら、今うちにいて、笑ったり泣いたり怒ったり飛び跳ねたりしている小さな女の子は、どこか違うところで暮らすことになっていたのかもしれない。それに、自分自身、口には出せなかったけど、あの時しばらくは思っていたのだ。もし、妻と二人で笑いあっていた穏やかな日々を取り戻せるなら、それもいいんじゃないのか、と。

 

今現在、外部の人間が親から子供を引き離すことは難しい。たとえそれがどんな親であっても。親もまた、自分たちが生んだ子は自分たちで育てるべきなのだ、という強い規範の中で生きている。それが裏目に出てしまったケースのいくつかが、いろいろなところで起きている痛ましい虐待事件なのかもしれない。一方で、そのおかげで今、私たちは娘と一緒に暮らしている。

 

どうしたら救うべき人だけを救うことができるのか。ただ公権力の力を強くすればいい、というのはまた別の悲劇を生むようにも思える。だからといってどうすればいいのか、簡単に答えがでるわけもないのだけど。とにかく、悲しい結末を迎える家族が少しでも減ることを願っている。